確かに私もマンションに住んでたから、いろいろ死角があるのはわかる。
マンションってひっそりしてて、なんだか怖い雰囲気があるのもしっている。
やはり昔のようなご近所同士の付き合いがこれからもっと重要性を持つと思う。
形、定義としてはみな気づいているのになぜ実行されないのだろうか。
やはりそれは危機感の薄さなのか、それともただの怠けなのか。
現代人の気質、それを見直す必要があるだろう。
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自宅まであと20歩ほどというから、いわば玄関先だ。学校からそこまで帰ってきたのに「ただいま」と言えなかった。川崎市のマンションの15階から投げ落とされ、殺害された小学3年の山川雄樹君と家族の無念さは、計り知れない。
家の玄関先までが凶行の現場にされるのでは、どうしたら子どもたちの身を守れるのかと暗然とした気になる。しかし、このマンションの通路のような場所は至るところにあり、住民は日々行き来しなければ暮らせない。何か手だてはないのだろうか。
マンションは家の集合体だ。平地なら、家と家の間には路地がある。かつて町の路地といえば、ほぼいつもだれかの目があり、声をかけあう姿があった。それが子どもを見守ることにもなったが、時代とともに、煩わしいこととして避ける習わしができた。
今では超高層のマンションも珍しくない。しかし顧みれば、多くの人が高層住宅に住むようになって数十年しかたっていない。マンションの通路だけでなく、階段やエレベーターも、新しい路地として見直すことはできないだろうか。
この事件は、高さが「凶器」になりうることも改めて示した。それを防ぐには、通路や階段に鉄格子でも取り付けるしかない。実際、東京の高層団地の代表格の高島平では、3階以上の通路の外側に金属のさくを巡らせた棟がある。
昭和50年代に飛び降りが続いたためで、ヒマワリやチューリップの形にデザインされていた。そんな鉄の格子だけでなく、住む人たちの目や声という生きた格子にも命を守る力があるはずだ。