愛の意味はとても難しい。
どの観点からみるかにもよるが、
それが政治的観念を含めるとさらに複雑なものになる。
「愛国心」と聞いたとき、アメリカ文化を知っている身分としては、
特にいやな感じはない。どちらかというと、強さを感じる。
それが三島由紀夫に言わせると「愛妻家」という言葉に似てるという。
それこそ、驚きであるとともに、納得もさせられた。
「愛国心」「愛妻家」「大和魂」どれが一番平和で納得できるのか、、、
時代背景もあるだろうが、やはりそれぞれの個性での観念を育てるのが必要だと思う。
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「愛」という字の中には、「心」が入っている。字の成りたちを、当たってみた。「後ろを顧みて立つ人の形に心を加え、後顧の意を示す」(字通)。「心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まないさま」(学研新漢和大字典)。
この「愛」に「国」や「心」がつくと議論が起こる。戦前の「忠君愛国」を連想する人もいる。ふるさとの自然を懐かしむような当たり前の気持ちだという論もあるだろう。
かつて三島由紀夫氏は本紙への寄稿の中で、「愛国心」という言葉には「官製のにおいがする」と述べた。「実は私は『愛国心』という言葉があまり好きではない。何となく、『愛妻家』という言葉に似た、背中のゾッとするような感じをおぼえる……『大和魂』で十分ではないか」
自民、公明両党の教育基本法改正に関する検討会が、「愛国心」の表現で合意した。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とされた。
「他国」も尊重し、世界平和に寄与するという後段は分かりやすい。愛する対象としての「我が国」は、解釈が分かれそうだ。領土と山河と国民との集合体を指す一方で、統治の仕組みともとれるからだ。
肝心なのは、「我が国」や「郷土」がどうあったらいいのかを、それぞれが考える力を養うことだろう。教師が、子どもたちに愛国心を測る物差しを当てて点数を付けるのでは息苦しい。「愛」の字の、いつくしむという意味を忘れないようにしたい。